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地域の伝統行事や民俗芸能の歴史と価値を映像の力で次世代に伝えるプロジェクト『まつりと』

日本には、さまざまな伝統行事や民俗芸能(以下、祭り)があります。それぞれの土地の風土や歴史、そこに暮らす人びとによって育まれてきたもので、地域の文化や生活の礎とも言えます。

しかし、過疎化や少子高齢化等によって後継者不足に悩む祭りも多く、そこに新型コロナウイルス感染症の影響が加わり、存続が危機的な状況に陥った祭りも少なくありません。

キヤノンマーケティングジャパン(以下、キヤノンMJ)が文化庁「地域の伝統行事等のための伝承事業(公開支援)」に参画し立ち上げたのが、日本のまつり探検プロジェクト『まつりと』。映像制作や写真撮影、オンラインによる情報発信、技術スタッフによる現場支援、撮影機材貸出等、2022年6月から2023年3月まで、全国47都道府県の155件の祭りをサポートしました。

本プロジェクトを専門家の立場から監修いただいた民俗学者の久保田裕道氏とキヤノンMJの阿部芳久、木村麻紀子に『まつりと』プロジェクトの制作について聞きました。

祭りの文化的価値はもちろん、“楽しさ”を後世に伝えることが大切

『まつりと』プロジェクトについて伺う前に、そもそも日本の伝統行事である祭りには、どのような特徴や役割があるのかを教えていただけますか?

久保田氏:祭りは、もともと神様を敬ってお供えをしたり、お願いごとをするために生まれたものです。しかし、もはやその定義をひと言で表すのが難しいほど、日本には多種多様な祭りが存在しています。なかでも「時・場所・人」という3つのキーワードは重要です。伝統的に続いている祭りには、年に1回、2回などの決められた「時」と「場所」で、その地域の住人や組織など特定の「人」が開催してきた歴史があります。そこには信仰もあれば娯楽的な意味合いもあると思いますが、いずれにせよ地域に暮らす人びとをつなぎ、活性化させる役割があると考えています。

また現代では、文化財という制度ができ、祭りは無形の財産として保護される対象にもなっています。

祭りを保護し、継承することの意義は何でしょうか?

久保田氏:とある専門家の方と、近年では博物館でも民具(昔から使われてきた道具類)の保管場所がなく、廃棄せざるを得ないというケースが増えているという問題について話していた時、「古い道具は先祖からの贈り物であって、今いる人たちだけのものではないのに、今の人たちの判断で捨ててしまってもいいのでしょうか。我々には未来に渡していく義務がある」とその方がおっしゃっていました。まさに、祭りにも同じことが言えるのではないかと考えています。

また、そうした義務がある一方で、単純に祭りが持っている楽しさや魅力を守っていくことも大切です。東日本大震災で被災した地域の祭りに参加させてもらった時、若い男の子が「自分は獅子舞を残したくてやっているんじゃなくて、みんなで集まって酒を飲みながら話す、この空間が楽しいから獅子舞をやっているんだ」と話していました。これも一つの真理です。信仰の強さに関わらず、民俗芸能が持つ伝統や歴史がきっかけで地域の繋がりができ、結果継承に繋がっているのですね。

一度簡略化された祭りは、元に戻りにくい。コロナ禍を機に変わっていく伝統

コロナ禍が祭りや伝統行事にもたらした影響をどのようにお考えでしょうか?

久保田氏:山梨県の山奥にある集落に伝わる神楽の祭りが、コロナ禍が始まって1年経った頃に開催されると聞いて遠くから拝見させてもらったのですが、舞手が高齢なこともあってその時点ですら舞を忘れてしまっているというケースがありました。

また、静岡県のある場所に、麦わらや笹竹を組んで拵えた神輿を川で燃やす祭りがあるのですが、密回避のために神輿を3基から1基に減らし、大きさも通常の半分ぐらいに縮小して開催しました。すると、神輿の若い作り手たちが、「来年からはもうこの大きさでいい」と言い始めたそうです。年配の人たちは「それでも続けてくれるなら」と了承したらしいのですが、まさに受け継がれてきた祭りの形が変わった瞬間でした。このように、コロナ禍によって一度簡略化されたものが、元に戻らないケースは今後も増えるかもしれません。

コロナ禍を経て、歴史や魅力を後世に伝えていく重要性が、より増しているのですね。祭りの継承において、特に課題となっていることは何でしょうか。

久保田氏:やはり、少子高齢化で若い担い手がいなくなっていることは、元来どこでも共通していた課題だと思います。次の世代に受け継いでいくためには、いかに若い人を巻き込むかという視点が欠かせません。私が見た限りでは、40代ぐらいのリーダーがいるところは元気がある印象です。なぜなら、組織を引っ張っていく力や他の組織と協働する力をある程度身につけていて、かつ、新しいアイデアに対する柔軟さも兼ね備えているケースが多い年代だからです。

40代ぐらいの人がやろうとすることを、会長など年配の方が寛容に受け入れている地域の祭りは活気があります。

祭りを今の時代に合ったものにアップデートしなければ、伝統そのものを後世に残せなくなるかもしれません。とはいえ、変えてはならないものを守ることも重要です。変えること、変えないことを自分たちでしっかり考える必要があります。

47都道府県の多種多様な祭りを記録。現地取材を重ね、前例のない映像を作ることに成功

そうした、継承課題を解決する一つの手段として立ち上げられたのが、「日本のまつり探検プロジェクト『まつりと』」ですね?

阿部:キヤノングループは、「共生」という企業理念を掲げています。先ほど久保田先生からまつりには地域に暮らす人びとをつなぎ、活性化させる役割があるとお話しいただきましたが、まつりは「共生」のための知恵や思想が蓄積されたものですので、キヤノンとしても存続のためのお手伝いをすべきではないかと考え、文化庁に企画提案を行いました。

キヤノンMJがまつりを開催されている方々に対してお役に立てることは何だろうということを第一に考えました。コロナ禍によって、毎年まつりに参加していた人が参加を控え、また現地でも観覧者数を制限している状況が多数ありました。映像を駆使すれば、コロナ禍の制限下でも多くの人びとにまつりを伝えていくことができると考え、それを企画の柱に掲げました。

これまで当社が培ってきた「技術力」と「表現力」、そして、それらを掛け合わせる「プロデュース力」によって、まつりが抱える課題を解決するお手伝いをしていこうというプロジェクトが『まつりと』です。

『まつりと』とはユニークなネーミングですね。

木村:私自身も、今回のプロジェクトを通してさまざまな地域の方とのつながりが生まれました。『まつりと』という名前には、「祭り人」という意味だけでなく、祭りと人とのつながりや、伝統を大切にしたいという願いを込めています。「祭りとあなた」「祭りと踊り」「祭りと音楽」「祭りと食」など「まつりと●●」とつながりを連想させる言葉としてネーミングを考えました。

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『まつりと』では、具体的にどのような施策を行ったのでしょうか。

木村:大きく分けて3つのサポートメニューをご用意しました。(1)映像制作とオンラインによる情報発信、(2)技術スタッフによる現場支援、(3)撮影機材貸出です。そこを起点に保存会の皆さんと話し合いながら、具体的なサポート内容を決めています。

「オンラインによる情報発信」は、プラットフォーム「まつりと」としてウェブサイトを立ち上げ、ここに各地の祭りの動画や記事を掲載しました。コンテンツはSNSやYouTubeにも連動させ、この相乗効果によりYouTubeの総再生回数は約360万回を超えています(2023年9月1日現在)。
「技術スタッフによる現場支援」は、祭りの現場で実際に困っていること、人材がいなくてできないことを、スタッフが現場に赴いてお手伝いするものです。具体的には感染対策、ライブ配信、ウェブサイト制作などを行いました。

「撮影機材貸出」は、保存会に撮影できる人はいるけれど、もっと高画質に撮影したいというご要望にお応えし、キヤノンの撮影機材をお貸出ししました。

祭りを映像化する上で、特にこだわったポイントはありますか?

木村:『私たちの祭り探検』については、若い世代や祭りとは少し距離のあるような人にも興味を持っていただける映像にした点です。

20代の若い旅人たちが自分自身の視点で祭りの魅力を発見し、それを伝える映像となっています。若い世代に、同世代の旅人の視点を通して共感してもらえるように伝えたいという狙いがあります。

先ほど久保田先生がおっしゃったように、多くの祭りが抱える課題は後継者不足です。いきなり後継者を増やすことはできませんが、まずは多くの若い世代から、祭りへの興味を高めることが大事だと考えました。

では、『祭りドキュメンタリー』は、どのような特徴があるのですか?

木村:このコンテンツは祭りが大好きな人や、祭りに詳しい人にも驚きと感動が伝えられるように意識して制作しています。

久保田氏:私のようなマニアックな人間は、たとえば獅子舞の幕の中で人がどのように踊っているのか、とても気になるんです。でも、舞手の方々は嫌がってなかなか見せてくれません。

木村:祭りは本番だけでなく準備や練習なども大切です。また行事の一部分を切り取るのではなく、全容を知ることで意味がわかってくることがあります。保存会の皆さんと話し合いながら、いろんなアイデアを駆使しました。地元の人や祭りに詳しい人に満足いただける映像にできるよう、丁寧に撮影しました。

久保田氏:私も撮影現場に何度か立ち会いましたが、伝統的な儀式が行われているすぐそばをドローンが飛び交う様子を見られたのは新鮮でした(笑)。演出ではなく本当に祭りが行われている最中に撮影しているので、限られた時間や制限もある中で臨機応変に対応していく様子はさすがプロだと感心しました。

木村:撮影させていただく祭りについては、もちろん事前に専門書やインターネットで調査していますが、そこに書かれていることがすべてではありません。やはり自ら現地に足を運んで、現場の人たちの生の声を聞くことで、祭りの本当の姿が見えてくるのだと改めて実感しました。そうした祭りの本当の姿を映像化することに力を注ぎました。

阿部:キヤノンMJは、デバイスやITソリューションなどの「技術」を提供する会社というイメージが強いかもしれません。しかし、写真や映像、メディアアートをはじめ、多くのクリエイターと長年にわたって信頼関係を築いてきたことにより、魅力的なコンテンツを制作するノウハウや人脈があり、「表現力」にも強みを持っています。今回の『まつりと』プロジェクトも、多くのクリエイターやさまざまなジャンルのプロフェッショナルと共に取り組んだからこそ実現できました。

祭りの関係者は、準備段階から当日までやることが本当に沢山あり、映像制作まで手がけるのはなかなか難しいと思います。そこでキヤノンMJが祭りの魅力をリサーチ、分析し、その祭りならではの魅力が伝わる構成を考え、今この瞬間の祭りの姿や、そこに集う人々の姿を撮影しました。

「技術力」と「表現力」そして、そのふたつを掛け合わせるキヤノンMJの「プロデュース力」により、祭りの魅力を最大に引き出し、幅広い層に伝わるコンテンツにできたと考えています。

ウェブサイト『まつりと』ではどんなコンテンツが見られますか?

阿部:「情報発信」のメインプラットフォームとして立ち上げたウェブサイト『まつりと』は、全国各地の祭りを紹介をしていることに加えて、アクセスした人が自分自身の興味から祭りについて知ることができるコラムや、クリエイターや研究者のインタビューなど、興味の導線をたくさん用意して、プロジェクトのコンセプトである「日本のまつりを探検する」をサイトでも体感していただけるようにしています。

「祭りを探検する」というのは面白い表現ですね。

阿部:「祭り」と「探検」ってあまり結びつかないですよね? 「探検」は秘境や未踏のジャングルなど未知の世界をイメージされると思います。それに対して「祭り」は、現代の大多数の人にとって、もはや花火、屋台、神輿といった定番のイメージと結びついた「おなじみのもの」となっています。

しかし、全国各地の祭りを訪れてみると、まさに「探検」という言葉が想起されるほど多種多様で、現代に生きる私たちにとっては驚きや不思議の連続です。このようなあまり知られていない祭りの奥深さと、「探検」というワクワクさせる言葉の響きを、「⽇本のまつりを探検する」というコンセプトに込めました。

なるほど。ちなみに映像化する祭りは、どのように決めたのでしょうか?

木村:保存会からご依頼を受けたものと、こちらからアプローチしたものがあります。ご依頼は想定以上のお申し込みがあり、期限までに寄せられたキヤノンMJへの支援依頼については、すべて対応させていただきました。

阿部:こちらからのアプローチに関しては、規模の大小や知名度などにかかわらず、独自のリサーチを実施し、行政からの情報が届きにくい行事にもお声がけし、47都道府県の多種多様な祭りを網羅することができました。

久保田先生のご著書も参考にさせていただき、地域性、種類、内容など、偏りが生じないようにリストアップしました。結果的に私たちからお声がけしたものは、歴史的にも文化的にも魅力的な祭りが多かったのではないかと思います。

久保田氏:私や委員会の人たちが知らないような祭りもたくさんリストアップされていたんですよ。

阿部:祭りの専門家である久保田先生にそうおっしゃっていただけるのは、とても嬉しいですね。

計360万回再生を記録。映像をフックに、祭りを次世代につなぐ

映像公開後の反響はいかがでしたか?

木村:おかげさまで2022年6月のウェブサイト『まつりと』公開直後から非常に好評で、映像本数が充実してきた2022年11月頃から、さらに動画の再生回数が急増しました。最終的には1本あたり2万4千回以上の再生回数を達成し、『まつりと』の映像全体では約360万回再生となっています(2023年9月1日現在)。視聴者の年齢層は44歳以下が50%を占めており、当初の狙いどおり、若い世代にもリーチすることができました。

久保田氏:伝統行事の映像はインターネット上にもたくさん存在しますが、再生回数が千回を超えているものは多くありません。『まつりと』は、公開1〜2週間で1〜2万回再生に到達した映像もあって、「何がどうなっているの?」と驚きましたよ。

地域や保存会からはどのような反響がありましたか?

木村:プロジェクトを始める前は、観光目的の映像や記録映像を制作したいという要望が多いのではと思っていたのですが、いざ始めてみると、地域の住民や若い世代に祭りの魅力を伝えたいという要望を多くいただきました。

都市化が進んでいる町の祭りの場合、継続するためには、新しく住み始めた住民からの理解が欠かせないようです。たとえば朝5時から法螺貝を吹く習わしがある地域では、それを知らない人からはうるさいと苦情が入るそうです。今回制作した映像では「なぜこの伝統行事が行われてきたのか、その背景にある歴史や文化、継承してきた人の思いを新しい住民にも知ってもらうきっかけになった」と保存会の方に喜んでいただけました。

久保田氏:私も保存会の方々からのポジティブな声をたくさん聞いていますよ。

阿部:私も、ユネスコ無形文化遺産に登録されている岩手県大船渡市の「吉浜のネスカ」を訪れた際、伝統行事の保存会会長から、「我々は映像を残したいのではなく、祭りを残したいんだ。そのためには地域の方々や若い世代に祭りを知ってもらうことが大切で、だからこそ映像に残すことに意味があるんだ」と言われたことを思い出しました。

すでに多くの反響を得ていますが、この映像記録が今後も祭りの継承に貢献していく可能性を秘めているのですね。現在、プロジェクトの運営はどのようになっているのですか。

阿部:文化庁からの委託事業としては2023年3月末で終了しましたが、キヤノンMJの事業として継続しています。『まつりと』のウェブサイトも引き続き運営していますし、祭りの映像化や情報発信についても自治体や保存会からご要望をいただいた際は、積極的に対応しています。

なるほど。最後に本プロジェクトを振り返って、あらためて感想をお願いします。

木村:保存会をはじめとする関係者の方々からは、「YouTubeだとテレビと違っていつでも見られるから、より多くの人に見てもらえるのが嬉しい」など、ありがたいコメントをたくさんいただきました。「今年は来ないんですか?」と声をかけてくださる方もいらっしゃり、キヤノンMJとの新たなつながりが生まれたことに感動しています。

阿部:祭りは「観光資源」として注目されがちですが、何よりもまず地域文化の源流であり、コミュニティ形成や人材育成、ライフネットワーク、地域に対する誇りの醸成といった役割も担っているということを忘れてはいけません。地域における「共生」の基盤と言えるものです。地方創生が叫ばれて久しいですが、そのためには、今回のプロジェクトのように多元的に祭りの価値を共有し考えていくことが重要であり、地域の祭りを映像で発信する意義はそこにあると思います。

久保田氏:今回のプロジェクトをきっかけに、キヤノンMJさんと全国各地の保存会の皆さんは良好な関係が築けたのではないかと思います。そのつながりを大切に、ぜひ継続して関わっていただけると嬉しいと感じています。

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自治体プロジェクト推進室 自治体ソリューション企画課

キヤノンマーケティングジャパン株式会社