三崎は愛しい「横顔」に出会える港町。
~ミネシンゴさんのitoshino~



Text & Photo :Shingo Mine

神奈川県の三崎港で、自然と人が溢れかえる場所「本と屯(たむろ)」を営んでいる編集者、ミネシンゴさん。三崎に移住してから3年。どうしてこの町は居心地がいいんだろう、そして、『愛おしく思う』とは一体どういうことなんだろう。そんな、簡単なようでちょっと難しいことを、三崎の写真と一緒にゆっくり考えてもらいました。

プロフィール

ミネシンゴ(みね・しんご)
夫婦出版社アタシ社代表・編集者。雑誌編集をはじめ、ラジオパーソナリティや蔵書室カフェ「本と屯」、「花暮美容室」も経営するローカルプレイヤー。
Twitter:@mineshingo

地元で働くおじさんの横顔は、その街の顔になる

都心に暮らすことをやめて、三浦半島の最南端、三浦市三崎に移住して3年が経ちました。ローカルや地方創生という言葉が出てきてから早10年。8年住んだ逗子から三崎に引っ越した理由はいくつもありますが、端的に言うと僕自身がそういう「モード」だったのだと思います。人混みの多い街、満員電車、キラキラした光、そういったものに飽きてしまったのが本音で、もっとこう、人に干渉されすぎないチルな生活に憧れて、港から歩いて30秒のところに事務所を構えました。三崎の商店街にある築90年の元船具店。がらんどうだった場所に今まで買い溜めた3000冊の本を並べて、ネットを完備して優雅に仕事をするんだ。そう意気込んでいたのも半年、古本屋だがなんだかわからない場所に毎日たくさんの人が訪れては「古本屋さんですか?」という問いに「出版社です」と応え続けてきました。

人に干渉されすぎない場所を求めて港町に来たのに、いつのまにか人で溢れる場所を作ってしまいました。ですが、都心では味わえなかった人の温かみに触れていくうちに、自分の中にあったトゲトゲしたものが丸くなっていって、この街に住む人たち、仕事をする人たちに興味が湧いてきたのです。横浜市旭区というベッドタウン育ちの僕にとって、まぐろ漁の中継地で栄えたこの港町は、古臭くて寂れていて、ぼくの琴線にビシバシと触れて、日々笑い、泣き、喧嘩もあちこちで開催されているこの街のことを、いのまにか好きで好きでしょうがなくなってしまいました。

朝6時、三崎の魚市場はいつもの風景で、いつもおじさんたちで賑わっています。長年の勘と、自慢の目利きで今日売る魚たちを見極めている。はちまきを巻いたおじさんは商店街で会えば気さくに話しかけてくれて、昼間から酒を飲み、競馬新聞を眺め、夏になると甲子園で夢中になり、祭りとなれば若い衆を束ねます。朝の横顔と、昼の横顔ではまるで別人で、昼間に会うと「いつ仕事しているんだろう」と思っていたけど、そうか。魚を扱う人たちは朝からエンジン全開で働いているんだと思いました。

まぐろをマイナス40度の冷凍庫に入れて、城ヶ島の市場に向かうおじさん。水揚げされた魚たちを見て季節を感じ、今食べるべき魚はなにか、どうやって調理したらより美味しく食べれるか、60年前は何百隻もまぐろ船が往来していた三崎港に思いを馳せながら、これからの三崎のまぐろ文化を朝日に向かって話してくれました。

福島弁で笑うと目がなくなってしまうおじさん。カウンターには常連のおじさんの横顔。奥の鍋には茶碗蒸しがあって、おじさんの背中には何十年も使ってきた食器たちが並び、手前ではお母さんが洗い物をしています。魚を取ってくる漁師、市場で魚を仕入れる人、それを調理する人、食べる人。書けば当たり前に思うこの「魚の流れ」も、目を凝らして見ればそこには必ず「人」がいて、目利きと手仕事で成り立っていることがわかります。これは一次産業者が多く働いている街だからこそわかることで、僕は写真を撮って、地元の人に話しを訊くまではイマイチわかっていませんでした。

三崎で事務所を構えて3年が経ち、小学生もおじいちゃんも来る僕の事務所は、すっかり街の人と観光客の方々に楽しく占拠されてしまいました。気づけばお店という形で「本と屯」と命名し街に開かれた「蔵書室」となりました。

写真を撮ることが、自分と街をつなげてくれた

たくさんの人と出会い、話し、街の歴史を聞いていくうちに、いつしか僕は三崎のおじさんの「横顔」を撮るようになりました。その最大の理由は、10年前に父を亡くしているからだと気づきました。
59歳の若さで逝ってしまった父は、東日本大震災も、新型コロナウイルスも、ぼくが結婚したことも、今は神奈川県三浦市三崎に住んでいることも、知りません。海の近くに住んで、父から譲り受けた「人なつっこさ」が今まさに活かされていることも、知りません。

父のことを思い出すとき、なぜか正面の顔ではなく、横顔が浮かんできます。目鼻立ちがしっかりとしていて、笑ったときに目尻にシワができて少しうつむきながら笑った顔が、眼を閉じると浮かんでくる。だれかとの思い出を想像するときに、笑顔が必ず浮かんでくるのはなぜなんだろう。父との思い出を振り返ったときにも、若いときの父の顔も、中年になったときの父の顔も、笑った横顔ばかりが浮かんできます。シャッターを切った覚えはないのに、明らかに写真のような横顔がいつでも自分の記憶から取り出せます。ぼくは父を亡くしてから、街で見かけるおじさんの「横顔」が気になってしょうがなくなり、同時に、まばたきをするたびに無音でシャッターを切っては、記憶のメモリーカードに保存するようになりました。

亡き父に重ねて、三崎のおじさんの横顔を父に投影して愛しんでいることが、この街に来てわかりました。しかし、正面でも背中でもなくなぜ横顔なのだろう。顔のパーツで言えば正面の方が要素は多いし、その人本来の「顔」は正面で認識することが多い。証明写真だって、横顔だったらやっぱり変じゃないか。顔の立体感が出ているから? その人の目線の先にはなにかが映っているから? 横顔の写真を撮っているとき、レンズを見ないその人は、ぼくと対峙しているわけではなく、ぼく以外のなにかと向き合っています。なにかに真剣に向き合っている横顔が、その人らしい一面を垣間見せているのかもしれない。その顔を見るたびに、ぼくはなんとも愛おしい気持ちになります。

父が生きていたら、どんな横顔を見せてくれるのだろう。真正面から向き合って、互いの目をじっと見つめ話すことができるのだろうか。目を逸したり、うつむいたり、手で顔を覆うこともあったから、横顔を見ているくらいがちょうどかったのかもしれない。それがぼくと父との距離感であったし、目の前じゃなくて横にいる感覚なのだと思います。そんな父との距離感を、三崎のおじさんたちを通して日々感じていて、もうひとつの地元になりつつあります。

三崎という街は不思議な場所で、晴れたらたくさんの人で賑わい、雨が降れば猫も顔を見せない。自然に左右されながら、仕事と暮らしを共存させています。それが「営み」なのだと思えてからは一層この街に住む人たちがキラキラ輝いて見えてきました。家族や友達のほかに、自分が住む街や人を愛おしく思うことは、もしかしたら写真を撮ることから始まるのかもしれません。


あなたの街の愛しいところを切り取ろう

好きなものを飾ったり、写真に残したり、アルバムにしたり。あなたの「好き」をかたちにするアイデアをご紹介します。

写真パネルでおうちをギャラリーに

愛しく思う街の風景や人を撮影して、自分だけのギャラリーをつくってみませんか。

カメラを持って街に出よう

何気なく過ごしている街を写真に撮ってみましょう。スマホやファインダー越しに見ると、いつもの街がいつもと違う表情を見せてくれるかも。